松山和夫(サーティワン会長)の経歴や社長時代の改革とは?【坂上&指原のつぶれない店】

6月2日(日)に放送の坂上&指原のつぶれない店に

サーティワンアイスクリームの会長である

松山和夫(まつやま かずお)さんがゲストで登場です。

バブル時代崩壊後、業績不振のサーティワン。

当時、サーティワンアイスクリームの社長だった

松山和夫さんはその手腕を発揮することで

みごとに業績を回復させた立役者らしいですね。

松山和夫さんが行ったサーティワンの改革とは

一体、どのようなものだったのか?気になりますね。

そこで今回は、サーティワンアイスクリームの会長、

松山和夫さんの経歴や社長時代の改革などについて

調べてみることにしました。

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サーティワン現会長、松山和夫について

まずはサーティワンアイスクリームの現会長、

松山和夫(まつやま かずお)さんの経歴を見てみましょう。

松山 和夫(まつやま かずお)

生年月日:1937年8月4日

1961年、明治乳業㈱入社。
1987年、ボーデン・インターナショナル(ジャパン)インク社長。
1990年、ボーデン・ジャパン㈱代表取締役社長。

1995年(平成7年)には、B-R サーティワン アイスクリーム

株式会社代表取締役社長に就任します。

その後、平成20年、同社取締役会長。

平成21年、同社取締役退任。

そして、平成28年にはサーティワンの代表取締役会長となり

現在までに至るというわけですね。

特に2000年代に入ってからの松山和夫さんの

サーティワンアイスクリームへの貢献は大きいです。

サーティワンアイスクリームについて

日本では馴染み深い「サーティワンアイスクリーム」。

しかし、アメリカではこの名前ではどうやら通じないよう。

アメリカだと「バスキン・ロビンス」という名前で

親しまれていて、世界最大級のアイスクリーム・パーラー・チェーン。

なんと、世界40か国に店舗が7300以上もあるそう。

サーティワンアイスクリームといえば、サービスエリアや

大型のスーパーやショッピングモールに店舗があるイメージですね。

また、期間限定のサプライズイベントなどで

お客さんを飽きさせない工夫もすごいところ。

日本では、1974年に東京の目黒に

サーティワンアイスクリーム1号店がオープン。

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社長時代の松山和夫の改革とは?

今でこそ、人気のあるサーティワンアイスクリーム。

しかし、バブル崩壊後には業績不振に陥った時代もあったそう。

そんな中、松山和夫さんがサーティワンの社長に就任します。

それが1995年のことなので、業績不振の真っ只中ですね。

そこから松山和夫さんがどんな改革をしたかというと。

まずは、フランチャイズ店との契約制度を大幅に変更することから。

というのも今までの図式だと、店舗で出た利益はそのほとんどが

サーティワンの本部に持っていかれてしまっていました。

店舗のオーナーにとっては、理不尽極まりないですね。

そこで当時の松山和夫会長は、改めてこの契約制度を見直し

店舗にもちゃんとした利益が残るようにしました。

また、本部とオーナーらとの関係も良くなります。

次に松山和夫会長は加盟店の店舗改装に乗り出します。

本来であれば、店舗の改装費用はそのオーナーが負担するもの。

ですが、業績不振で店舗にもオーナーにも余裕はありません。

しかし、サーティワンの加盟店との契約制度が変更されたことで

資金に関して徐々に改善され始めます。

また、本部も今まで店舗から入ってきていた利益を還元してあげ、

なおかつこれまで外部委託していた作業などを自社の社員が行うことで

余分な費用はとことん削り、店舗改装により力を入れました。

これにより、サーティワンアイスクリームは

2000年代に入り業績の大幅回復とともに

加盟店との結束も高めることが出来ました。

今回のまとめ

6月2日(日)に放送の坂上&指原のつぶれない店に

登場するサーティワンアイスクリームの

松山和夫会長。

番組では他にも松山和夫さんの話が

聞けるかもしれないので興味のある方は

ぜひご覧ください。

それでは、最後まで見ていただき

ありがとうございました。

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